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[対話篇 青→花 2]では、はじめますか。

こんにちは。青木です。

花田くんは、「SD」1995年8月号、特集「まちのパブリックスペース」を覚えていると思います。中川理さんと、花田くんと、ぼくとの座談会が掲載されている号です。あれは、座談会と言っても、実際に会って座談会をしたわけではなくて、「パソコン通信」のやりとりでつくった架空座談会でした。今、確認してみたら、タイトルが「オンライン座談会 『公共性』と『表現』を巡って」となっていて、末尾には、ご丁寧にも、「この座談会は1995年6月、電子メールで行われた」と、註がついていました。実際に会って話していないことに引け目でも感じていたのでしょうか。「オンライン座談会」、かっこわるいですね。

95年というと、いま、大学生である人たちからすれば、きっと小学生の頃のことでしょうから、大昔ですね。でも、花田くんやぼくにとっては、「ちょっと前」のことです。というのも、95年というのは、ぼくにとっては、「遊水館」や「潟博物館」の設計が終わって現場に入り、「御杖小学校」の設計がはじまった年です。その頃のことを、ぼくはつい昨日のことのように思い出します。それに、95年は、言うまでもなく、「阪神・淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」の年です。あれは大きかった。いやいや、しかし、そのことについて話し出せば、長くなります。やめておきましょう。

ともかく、花田くんが、「東京にいる青木君と神戸にいる僕との間で膨大な量のメールが往復し」と書いていますが、その一部が形として残っているのが、たとえば、この架空座談会なのでした。

この「対話編」は、そんな架空の対話を花田くんと久しぶりにやってみようという企画です。ただ、公開の場というのが、昔の架空座談会のときとは違うことです。読む人の多くは、きっと、課題「模型から建築へ」に取り組まれている(あるいは取り組もうとしている)学生の人たちでしょう。つまり、花田くんとぼくが、学生の前でしゃべっているという構図です。ならば、いっそ、花田くんとぼくの「架空授業」にしますか、これ。

さて、今日は、花田くんが見てくれた展覧会のことから話しましょう。東京国立近代美術館で、6月3日から8月3日まで開催されていた「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」展のことです。ぼくが出品したのは、ひとつの住宅(「M」)の基本構想を決めるまでに、事務所で検討の俎上に上がった99個の模型でした。
でも、これらの模型は、今回の課題でぼくが期待している模型とはぜんぜん違う種類の模型です。どう違うかは、おいおい、わかってくださると思いますけれど、今日は、まずは、これらの模型についてコメントしましょう。

東近美に出した模型は、どれもが、ここでどんなことをすればいいのか、その目標を探すためにつくられたものでした。その試行錯誤です。都市部の住宅を設計すれば、だいたい、設計者に残された自由というのは少ないものです。敷地の条件、クライアントの要望、法律による規制、工事費など、それらの間での適正なバランスを考えていけば、ほとんど案が一意的に決まってしまうのではないか、と思われるほどです。もちろん、それら条件のなかで、もっとも厳しいのはクライアントの顕在的また潜在的な要望ですから、それらを無視したり、クライアントに意見を変えてもらうべく説得したりすれば、設計者の自由はだいぶ増えるかもしれません。でもぼくは、そういうことを、しません。
それでは、設計はつまらないじゃないか、と言えば、そんなことはありません。どんなにガンジガラメに思えることにも、きっと思いがけない、いい解決方法があるはずだと思うし、今までの経験では、実際にそうだったからです。目の前の現実のすぐ向こうには、いつだって新しい世界があるはず、という根拠なき確信がぼくにはあります。

ともかく、そういう設計のプロセスでは、まず条件を整理して、それらにうまく答えられる案とはどういうものか、考えます。それから、その案にデザインとして、どんな可能性があるかを考えます。その道具として、模型をつくります。模型をつくると、いくつかの可能性が見えてきます。可能性というか、まあ、その匂いのようなものですけれど。それでこっちの方に向かえば、きっと展望が開けるのじゃないかな、じゃ、こっちに進もう、というような判断をして、案を調整して、また模型をつくります。Mの99個の模型は、そんなプロセスの痕跡でした。
どんな形なのか、どんな空間なのか、そういうことはまるでぼんやりとしているけれど、できあがって、そこにいたら感じるだろう、ぼくにとって「これだ」と思える感覚を感じられたとき、そのスタディが終わります。なぜなら、その感覚はとても強固なものなので、あとは、なにをするべきか、どちらを選ぶべきかなど、そのあと設計で待っているはずのいろいろの判断が、その感覚に照らし合わせることで、きっと首尾一貫して行なえるように思えるからです。

こういうスタディの模型を見て、そこにどんな感覚を持つかは、かなり個人的なものです。花田くんも、「その道具で何を確認しながら前へ進んでいるのか、僕にはとても追体験できません」と書いています。そういうものなのでしょう。
ぼくだって、「何を確認しながら前へ進めばいいのか」、まさにその核をつかむために、行ったり来たりしてきたわけです。つまり、あそこでは、ぼくはまだ、一歩も前に進んでいないのです。つまり、もし、ぼくがこのMで、今回の課題を出すとすれば、それをはじめる敷居にようやく辿りついた、そういうところなのです。

ということで、では、また。

[対話篇 花→青 1]「模型」にもいろいろありそうだね。

青木淳 様

インターネットが一般には普及していない十数年前。家庭のパソコンは「パソコン通信」なるもので外部とつながっていましたね。今の学生諸君は知らない世界。キーボードを打って指示すると、10cm角くらいのモデムが光り出し、ジーコロコロと音をたてて自動的に電話をかけ、最後にピーピーと鳴ってダイヤル回線経由の通信ができた。
それを使い、東京にいる青木君と神戸にいる僕との間で膨大な量のメールが往復し、そこでの議論は後に僕のいくつかの論文へとつながりました。
あーでもない、こーでもないというやり取りには、しかし基本的に一定の共通点があったと僕は勝手に思っていて、それは、どんな意見も「なるほどねえ」と一旦受け入れた上で、でもここが違うんじゃないか、僕はこう思うけど、と付け加えていくスタイルだったように思います。二人ともの性格なんでしょうね、意識することなく持続されたそのスタイルが、いろんなアイディアを生み出してくれた。
そのやり取りが余りにも多かったせいかな、世の中にはまず相手の意見を否定することから話を始める人もいるんだと気がつき驚いたのは、ずいぶん後のことでした。

今年度、青木君が神戸芸工大の客員教授になってくれ、さてどんなふうに学生の前に登場してもらおうかなと考えているときに思い出したのは、上に書いたような「肯定から始まる議論」の心地よさでした。そして、青木君とのそういう対話を学生諸君にも経験してほしいと思いました。
オープンスタジオに期待するのは、そんな言葉が飛び交う空間の出現。青木君と学生、他の学科教員と学生、青木君と学科教員のあいだで、肯定的な言葉が行き来する空間です。さらには、学外からの参加にも大いに期待をしています。

「そのベースになる旋律を奏でてみよう」と、僕には似合わない文学的比喩とともに思いついたのが青木君との雑談を公開することでした。
実習の授業中に、肝心のエスキスを忘れて学生相手にやる建築談義ほど楽しいものはない。課題を解く手助けになるかどうかはわからないけど、話がどんどん広がっていって、学生の「あははは」という笑い声が引き出せたら大成功。

さて、前置きはそのくらいにしておきましょう。

青木君から示された「模型から建築へ」という課題は、ある意味では設計作業の途中にある自明の変換過程を示す言葉だよね。多くの設計は、模型から建築の実現へと向かいます。
でも青木君の課題は、逆に「建築から模型へ」という方向の考察をしてみてくれというメッセージでもある。つまり、素晴らしい「まだ見ぬ「建築」」があるとして、それが生まれるきっかけになった「模型」を想像しろというメッセージだ。素晴らしい「まだ見ぬ「建築」」を「生むかもしれない」模型ではなく、「生んだ」模型。しかも「まだ見ぬ「建築」」も見せてみろという無理難題。時制がめちゃくちゃです(笑)。

先日、この企画の進め方を青木君と相談するために東京へ行ったとき、東京国立近代美術館で開かれている「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」展に行きました。何しろ青木君の設計した一軒の住宅の生成に関わる「模型」が全部展示してあるというわけだから、見ておく必要があると誰しも思う。
会場では、よくまあこんなにいろんなことを考えるものだと感心しつつ、ほとんど模型どうしの前後関係を読み取れないまま、でも模型ごとに記された全部のコメントを読んでみた。すると、その作業というか体験には既視感があり、何だろうと考えていて思い出したのは、青森県立美術館の見学会。あのとき、建物の裏方の部屋も含めて3、4時間かけて一周し、疲れ果てた体で味わっていた感覚と似ているのですね。
長いミステリーを読み終わり、その満足感、達成感に浸っているうちに、実は犯人が誰なのかがわからないままであることにやっと気づく、とでも喩えてみたくなる、そういう感覚。言い換えると、そこには「全体」を俯瞰できる「模型」がない。謎は解けないのに、あるいはひょっとしたら謎を解きたいなんて思ってないのに、優秀な人材を集めた強力な組織が立ち上げられ、大捜査がおこなわれている。あそこに並んでいた模型はすべて真犯人を知っている。でもそれは全部別々の人なのだ。

模型論というより、結局は青木君の設計論を尋ねているような感じですね。

展覧会のカタログに納められた田中功起さんの「マキシマルな操作、あるいはそばとうどんをいちどに食べながら同時に歌うこと」というテキストは、つくる人間どうしだからか、青木君がたくさんの模型で言おうとしたことを、実にうまく、分析というより、描いていると思いました。
勝手に自分のことに引き寄せるなら、この「・・しながら同時に・・」という感覚は、僕が「青木淳論序説」(『建築文化』9911、2006年に彰国社シナジーで復刻)で最後に図示しながら書いた青木モデル(通称「ずん胴モデル」)に似ているとも思います。たしか、「世界」を縮小も拡大もせず一気にとらえる感覚、とかなんとか書いたこと。

こういう設計の進め方を選んでいる青木君にとって、模型は一番馴染みのいい道具、ということなのかな。その道具で何を確認しながら前へ進んでいるのか。僕にはとても追体験できません。

「鳥の巣」から「編んだような」構造体へ、「伝統」から「木造の垂木のような」コンクリートの細い梁へ、移動する民族の家「パオ」から「東京を浮遊するかのような」少女の部屋のインテリアへ。それぞれ最初の言葉が「模型」です。建築家はそんなふうに「模型」をとらえることがある。でも、「モデル」とカタカナ書きした方がいいであろうこういう「模型」、つまり「全体」を教えてくれるような「模型(=青木モデル)」は、青木君の建築からは想像ができない。

「模型」にもいろいろありそうだね、というところで、取り合えず第一便。

2008年8月4日 花田佳明


対話篇とは

今回の課題を手がかりに、青木教授と私との間でメールのやり取りをしてみようと思います。どんなことになるか分かりませんが、よろしくお願いします。

茶々を入れてやろうと思う方はぜひどうぞ。
ただし、所属と本名は明記して下さいね。
なお、このブログに関する注意事項はご一読ください。

花田 佳明

Appendix

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