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[対話篇 花→青 3]まずは、あれやこれや。

青木淳 様

話の枕に思い出話というのは、授業でもときどきやってしまいます。
『SD』1995年8月号/特集「まちのパブリックスペース」、懐かしいけど、「「オンライン座談会」、かっこわるいですね。」、そうね、まったく(笑)。
この前後の時期、僕はいろんな状況がうまくのみ込めず、おろおろしていた気がします。
青木君が磯崎アトリエを辞めたのが90年、僕が日建を辞めたのが92年で、93年に一緒に「サバーバンステーション」という仮想プロジェクトをやり、『建築文化』にも発表し、そこに青木君は新潟のプロジェクト、僕は「プログラムをめざして」という文章も掲載した。
「サバーバンステーション」のレポートは、勝鬨橋を渡ってすぐの高層マンションの一室でスタートした青木事務所に泊まり込み(たしか2つめの円形平面の部屋)、3.5インチのフロッピーディスクでデータをやり取りしながら、初期のMacでまとめましたね。内容もまとめ方も「凄いぞこれは」と思っていたけど、今から思うと「かっこわるいですね」、です(笑)。
それからしばらくして阪神大震災があり、神戸の東灘区に住む僕は得難い経験をした。松村正恒のことを調べはじめたのがその前の年で、そこからもう10年以上が過ぎてしまった。逆にあの頃から、今までと同じくらい逆戻りすると学生時代になるわけで、卒論・卒計・修論から何も変わっていない自分に行き当たります、と、遠い眼差し。

ひとり感傷に浸ってアホか、という声が聞こえてきました。

「模型から建築へ」です。

全国の(と大きく出ますが、笑)学生諸君、この言葉から何をどんなふうに考えていますか。
東北大の本江先生は「おれが学生ならきっとやる」と学生さんにアジってくれました。ありがたいことです。学科主任権限で本江さんだけには教員特別参加資格をさしあげたいくらいです。
一方僕は、「応募資格のない教員でよかった」と胸を撫で下ろしているくらい弱気な人間なので、ぶつぶつつぶやきながら製図室をうろついて、学生諸君のスケッチの邪魔をするジジイになるのが関の山。

「模型から建築へ」は、「模型」と「建築」という名詞と、「~から~へ」という述語(のようなもの)から成り立っています。だから、それぞれが何なのかがわかれば答えが出る、はずはないけど、ぶつぶつつぶやきながら製図室をうろついてみる、と。

(1)「模型」って何や。
世の中にはいろんな「模型」があるんだけど、この課題ではどうとらえたらいいのだろうね。宇宙の模型、原子や分子の模型、プラモデルの戦車の模型、建物の完成模型、西郷さんの銅像、オタク好みのフィギュア。ぜーんぶ「模型」だ。でもこれらは、言うまでもなく、既にあるものの全体像をわかりやすくとらえた代替物。つまり「<既にあるもの>から模型へ」となっているから、「模型」の位置が課題とは逆。こういう「模型」じゃないということだ。当たり前だね。
むしろ、「まだ見ぬもの」の原型となるイメージのようなもののこと、なんだろうな。
もしそうなら、「原型」になるものはいろいろあるよね。言葉とか音楽とか映像とか。
仮にこの課題は、その「原型」なるものを「<模型>として」とらえろと言っているとすれば、「模型」という言葉は、けっきょく「言葉でも音楽でも映像でもなく」、「モノ」という意味になるのだろうか。言葉に拠らず、モノで思考せよと青木君は言いたいのだろうか。
・・・ということを言葉で思考していることの限界と、でも、じゃあ「言葉や音楽や映像を模型化することはできないのか」と、言葉で攻撃を仕掛けてみる。

(2)「建築」って何や。
これはもっとわからなくなる問いですね。何か一定のルールを決めておいて、それを満たしていれば「建築」だと認定するか、あるいは、あの人が「建築だ」と言えば「建築」なんだと認め合う「あの人」を決めておくか。
解答する側としては、「模型」で悩むよりも「建築」で悩むべきかも。「え、これが建築?」と「建築」の定義を揺さぶるようなものを先にイメージすると、「模型」の定義を揺さぶるようなものへ逆追いできるかも。

(3)「模型から建築へ」向かってどないせえちゅうんじゃあ。
この課題は、模型「から」建築「へ」ということで、「模型」と「建築」を分離して考えている。だから、両者が「一体化」しちゃいけない、という前提があるのかな。
たとえば、「模型としての建築」というような言い方があるよね。全宇宙の構造を反映した建築だあ、みたいなノリ。あるいは、この建築は文学理論の反映だ、とか。建築外の何かの構造や要素を、何らかの関数で建築に変換したというような説明をともなう建築。「コンセプト」を高らかに掲げた建築ともいえる。
あるいは、「模型みたいな建築」という言い方もあるけど、それは「コンセプチャルな」建築に対する揶揄、でもある。
いずれにしてもそういうものではない、としたら、<「模型から建築へ」××する>という述語(=「××する」の部分)を、<「変換」「変形」による建築化>ととらえること自体を拒否する必要がありそうね。
そういう「操作」というルートを経ずに原型から(別の産道を通って)出現する建築。
そんなものあるんかいと思うけど、まさに青木君の建築ってそういう感じがするんだから、困る。表参道のルイヴィトンの場合の「トランク」、青森県立美術館の場合の「トレンチ」とか「遺跡」。僕は最初、まさに「原型」「コンセプト」として、それぞれの図像的なわかりやすさに驚き、人ごとながら心配したのですが、実物を見ると、「あ、これは「トレンチ」じゃない「トランク」じゃない」とすぐに思え、いったいどうなっているんだろうと呆然としたんですね。

ずいぶん頭の悪いジジイのつぶやきですが、うだるような暑さの中ではこれが限界。

熱波に揺れる風景の向こうに、こんな戯言を軽々と乗り越える学生諸君の姿が見える。

2008年8月11日 花田佳明
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